日時 | 1999年07月11日(第62回例会) |
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場所 | 立教大学 |
テーマ |
「社会主義の現状をどう考えるか」(山口正之著), 『どこへ行く社会主義と資本主義』(山口・森岡・大西著) |
今回は『どこへ行く社会主義と資本主義』の中で,山口担当部分「社会主義の現状をどう考えるか」について,検討を加えた。
第一に,報告者は,山口のレーニン解釈の誤りを出発点にして,山口の過渡期論を問題にした。──山口(および客観主義者たち)の特徴の一つは“共産主義とは民主主義の徹底のことである”と言明するということにある。山口もまたレーニンを援用しながらこのような曖昧な言明を行っている。山口の言明では,あたかも資本主義の枠内でますます民主的規制を押し進めていけばいつの間にか社会主義になってしまうかのようである。しかし,果たして,そうなのであろうか。資本主義の枠内での民主的規制の徹底は,第一に資本主義そのものの制限性を暴露するということによって通過点的性格の自覚化を要請するのではないか。もしそうであるならば,いつの間にか社会主義が現れるのではなく,社会主義への移行が独自の政治的な課題になるのではないか。更に,第二に過渡期における“民主主義の徹底”は民主主義の制限性の突破によって民主主義そのものを止揚していくのではないか。そもそも,レーニンが問題にしていたのはそのような過渡期論なのである。(出席者からは,結局のところ,この二つの問題は,山口の議論における過渡期論の位置付けの欠如に起因しているのではないかという指摘が行われた)。
第二に,報告者は,山口の労働社会化論を問題にした。──(1)山口の民主主義論は,漠然とした経済民主主義──中心的には生産過程の外部からの民主的規制──を越えていない。しかし,山口は,労働の社会化を重視する以上,そもそも生産過程の内部での民主的規制をもっと問題にするべきではなかったのか。(この点については,出席者から,そもそも山口の労働の社会化論には直接的生産過程の内部での労働の社会化という観点が余りないのではないかという指摘が行われた。そうならば,山口の経済民主主義論に直接的生産過程の内部での民主主義の問題がないのは,寧ろ当然である)。
(2)資本主義社会においては,労働の社会化の進展はそっくりそのまま労働の敵対性の進展である。正にそのことによって,資本主義は自己の限界を暴露するのである。しかし,山口においては,この点の認識が希薄である。
(3)正に労働社会化の進展が労働敵対性の進展であるからこそ,資本主義社会では,労働社会化という客体的な変革が変革主体の客体的形成とともに,変革主体の主体的形成を齎さずにはいられない。しかし,山口においては,労働社会化は全面的に発達した諸個人の形成(の可能性)という変革主体の客体的な形成については言及するが,このことと墓掘り人の形成という変革主体の主体的な形成とは全く疎遠に(説教によって)くっつけられている。こうして,傍観する客観主義は説教する主観主義に転回せずにはいられない。
その他に,プラザ合意の位置付け,プロレタリア民主主義の評価,階級闘争の概念などについて,出席者から問題が提出された。