第67回(『雇用不安』
序章,第1〜3章

日時 2000年02月06日(第67回例会)
場所 法政大学
テーマ 『雇用不安』(野村正實著),序章,第1〜3章

今回は『雇用不安』の中でこれまでのサーベイおよび著者の理論を展開した部分について,検討を加えた。

報告者が問題を提出したのは,第一に,モデル論の妥当性である。このモデルでは,──およそモデルというのはそういうものであるが,──既知の単純な事実が既知の複雑な事実に高められていく。しかし,新しい結論が出てくるわけではなく,既に機能しているシステムの単純なワーキング・ビヘイビアが叙述されるだけである。つまり,結論が先取りされているだけであって,三つのモデル──大企業モデル,中小企業モデル,自営業・家族従業者モデル──の区別の妥当性は決して問われない。これは彼のモデル論の欠点ではなく,モデル論がそもそも孕んでいるものである。しかし,筆者はこのようなモデル論の制限性を自覚せずに,新しい結論を導き出したと考えているようである。

第二に,モデル論の整合性である。実際には,この三つのモデルを区別するのは家族であって,従ってこれは家族のモデル(大企業に勤務している男性労働者とその家族,中小企業に勤務している男性労働者とその家族,自営業者とその家族)である。それにも拘わらず,著者はこのモデルを至る所で企業のモデルに転換してしまっている(二重構造論)。

第三に,──これが最も重要であるのだが──,「近代家族」の問題である。著者は大企業に男性が勤めている家族を「近代家族」,自営業に勤めている家族を「前近代家族」と呼んでいるが,果たしてそうなのか。「近代家族」も「前近代家族」も等しく近代家族なのではないか。しかし,この点は家族に留まらず,日本特殊性論・一般性論における前近代の位置付けに関わっている。近代における前近代は,果たして,前近代が生み出した前近代なのか,それとも近代が生み出す──しかし近代ではないものとして生み出す──前近代なのか。近代の中に近代セクターと前近代セクターがあるのか,──もちろんあるのだが,更に一歩進んで──,それとも,近代自身が近代セクターと前近代セクターとの対立を生み出しているのか。これは非常に細かい点ではあるが,実践的には鋭い対立をなすのである。とは言っても,この点は次回にまた検討することにした。

その他に,日米失業率較差は既に逆転したということ,カルロス・ゴーンのリストラ宣言に対して日産の企業内労働組合は抵抗することができなかったということなど,この本が時代遅れになっている点を除いても,いろいろと細かい点で首肯しがたい記述が多い。

出席者の中からは,ケインズ完全雇用論と著者の全部雇用論との関係が問題になった。