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お返事ありがとうございます。
|下手に左翼(=体制変革論)と結び付くと,管制高地としての発券機
|関を征服して全部オッケーということになりかねません。
日銀の独立性強化を建前とする日銀法改正にたいして、共産党は衆院で賛成し
ました。「護送船団方式よりはマシだ」という佐々木経済対策委員長の判断だっ
たようですが、留守にしていた不破委員長が戻ってきて状況は一変。日銀法改正
は大企業に奉仕する金融ビッグバンの一環でありケシカラン、また将来の民主連
合政府の管制高地という戦略的な位置づけから、参院では反対に回りました。佐
々木氏は自己批判し、志位書記局長は記者会見で弁解しきりだったそうです。
国家から独立した中央銀行などあるわけないんだから、日銀法改正への態度は
クジ引きで決めても良かったんではないかと思いますけど。
他方で、内生説に共感する左翼の方々にも、左翼ならではの苦悩があるようで
す。
「筆者自身は、岩田氏[マネタリスト]の見解よりも翁氏[日銀]のそれ
により多くの共感を覚えるものであるが、ただ、内生的貨幣供給説は、
その立論に依拠するかぎり、1980年代央以降のバブルの膨張とその崩壊
に占める日本銀行の責任をともすれば免罪することになるという問題点
を伏在させている。…いくぶん超越的な批判になるが、政策的な問題と
して、はたして、当時のこうした日本銀行の行動まで免責されてよいの
であろうか…。あるいは、理論的な問題としては、管理通貨制度下の中
央銀行の貨幣供給システムのなかには、短期的にはともかく、中長期的
には、外見上はすべて内生的貨幣供給とみえながら、じつはインフレ・
マネー、バブル・マネーの供給を許すメカニズムが組み込まれていると
考え、その本質的な解明をめざすべきであろうか。
その問題はひとまずおくとして、ここでは、最後に、つぎの点を強調
しておきたい。‥‥」(建部正義『貨幣・金融論の現代的課題』大月書
店、81頁)
バブルにたいする日銀の役割ということで言えば、個別的銀行がいくら貸出を
拡大しても現金準備が足りるように日銀が配慮した、ということはあると思いま
す。日銀がこういう政策をとればいつでもバブル的活況になるわけではなく、実
体経済の側で新資本投下が行われて流通が拡大しなければなりませんが。
建部氏とは反対に、川合一郎のフィリップス流信用創造論を支持する左翼の方
々もいます。彼らは彼らで、中央銀行だけでなく個別的大銀行も狂乱物価に責任
があると、どうしても言わねばならないジレンマがあるようです。
「注意を要するのは、多くの場合、金融機関はインフレーションにつ
いての責任を認めようとしない点である。…金融制度調査会が…銀行の
預金安全保管機能は、貨幣価値の変動とは無関係であり、貨幣を表示額
で保管するにとどまると考えられるとのべている。
だが、銀行は、預金の受入れと資金の供給の二つの業務をあわせて同
時におこない、銀行組織全体として信用創造機能を発揮しているのであ
り、それが日銀信用と固く結びついて機能しているかぎり、通貨の減価、
インフレーションの進行に中央銀行も民間銀行もかかわっているといわ
なければならない。今日のインフレーションの要因が多様であって、
一個別銀行の責任の範囲を越えるものであっても、銀行の預金安全保管
機能は貨幣価値の変動とは無関係といい切ることはできないであろう。」
(谷田庄三「金融の民主化」、野田・谷田編『日本の金融機構』新日本
出版社、下巻358頁)
あるときはマネタリストの管制高地論と日銀批判、またあるときはポストケイ
ンジアンの個別的「銀行の公共性」論、と動揺せざるをえないのが良心的左翼金
融政策論なのかもしれません。
| どうもポストケインジアン(典型的にはカルドア)の内生的貨幣供給論は個
|別的資本の立場に固執し,外生的貨幣供給論は社会的総資本の立場に固執する
|ように思われます。
内生説は個別銀行業者の利害と結びつきやすいと言えるかもしれません。マネ
タリズムは基本的に予定調和論の立場であって、商品所持者どうしの社会的相互
依存を認めてはいると思います。マネタリストの貨幣は外部から中央銀行という
公共的機関によって流通に投じられるとはいえ、流通の途中で蓄蔵貨幣として独
立化することは決してないのであって、この点の理解はポストケインジアンより
劣ってます。また、両説とも貨幣の利子生み資本としての社会性、「一階級の重
みをもつ貨幣」の理解にまで達しているわけではないです。
前貸論としては久留間さんの「流通手段の前貸と資本の前貸」は社会的総資本
の再生産の立場から考察したものですし、フィリップス川合氏も社会的再生産の
立場です。三宅さんの「貨幣の前貸と資本の前貸」論は、個別的銀行とその貸出
先の関係で見た議論です。
流通手段の前貸を考察するばあい、久留間さんのように社会的総資本の再生産
の見地から考えるのが良いと思います(というか、流通空費を誰が最初に投下す
るかという話は、社会的なレベルでしか考察できないのでは)。流通手段前貸に
おいて、銀行は実体経済に受動的な空費節約者として現れます。
銀行から貸し出された貨幣が新資本の最初のGとなれば、これは商品流通およ
びそのために必要な通貨量を拡大するわけで、銀行は実体経済に積極的な役割を
果たすことになる。また、流通貨幣量が実体経済の商品総額を決めるかようなマ
ネタリズム数量説的な外観がつくりだされます。