本文

まず最初に、ISMのStudyのほうに投稿してしまったことを
お詫びいたします。以後、このようなことがないように気をつ
けますので、ご海容ください。
 窪西さん、ご指摘ありがとうございます。
 

以下の内容は、ISM-Study86に投稿してしまったメールです。


ISMの皆さんへ

残暑見舞いもうしあげます。
くれぐれもご自愛くださいませ。

こんにちは、尾崎です。
ただいま、修士論文のために連日の如く、机から夕日を眺める
日々を過ごしております。
  さて、今回、メールをお送りしたのは、私の修士論文のスケッチ
に簡単なコメントを頂きたかったからです。私の考えていることが、
皆さんの考えと必ずしも一致するかどうか、については、定かでは
ないのですが、お手数ですが、ご批判やご意見を賜れば幸いに存
じます。なお、長文のメールになってしまいましたので、もしその
ような時間が取れないのであれば、要点のほうだけでもコメントを
いただければ幸いです。よろしくお願いします。


要点
1. 市場価値規定(第3巻10章)について  
  市場価値の規定は、加重(算術)平均である。大量支配規定は
市場価格に関する規定であり、市場価値に影響を及ぼさない。
2. 特別剰余価値について ― 虚偽の社会的価値に関連して ―
  一般的に特別剰余価値は「例外的に高い生産力」から生ずる。
これは価値形成には影響を与えない。ただ「強められた労働」
「何乗かされた労働」として意義をもつのは、その商品の個別的
価値が社会的価値として妥当するからである。
3. 不明瞭の箇所
  山本二三丸氏の「誤記説」の根拠は文献的には不確かである。
ただし、需給不一致が市場価値に影響しないと論証できれば正しい。


1. 市場価値規定について

  市場価値規定は、需要または社会的欲望がそうであるのと同様に、
1部門全体の規定である。そして、市場価値はこの1部門の平均的な
生産条件(これは上位・中位・下位と分かれるのであるが)で生産された
総労働量によって規定される。
  また、諸商品のもつ個別的価値についていえば、個別的商品が社会的
価値でうられるということは、すでに生産部面で社会的価値(平均見本)
として妥当していることを示す。すなわち、市場に出される商品は市場
価格をもつ、すなわち市場価値をもつことであるからである。市場の大量を
なす商品は、平均価値(市場価値)の決定に際して影響をもつ(regeln)に
すぎない。大量支配の重要な点は、社会的・標準な生産条件が大量を
なす個別的価値に位置するということであるが、市場においては意味を
なさない。一定の労働時間の対象化としてしか意味をもたず、1部門を
一部分をなすものに過ぎない。この区別には売り手間競争と生産者間
競争とを区別することが必要である。


2. 特別剰余価値について

  一般的に特別剰余価値は「例外的に高い生産力」から生ずるが、生産力は
具体的有用労働に関わる概念であって価値形成には影響を与えないもの
である。しかしこれが「強められた労働」とか「何乗かされた労働」として意義
をもつのは、その短縮された労働時間の対象化が個別的価値に表され、
これが社会的価値で売れるからである。
  したがって、この規定は労働の二面性にもとづくものであるから、農業部
門・工業部門を問わず一般的に妥当する。したがって、虚偽の社会的価値は
個々から説明されるべきである。また私見によれば、限界原理についても、
この労働の二重性と農業部門の低い有機的構成から導きだせると思われる。
草稿(ロートゥベルス稿、リカード稿)ではそのようにして研究している。


3. 不明瞭の個所について

不明瞭の箇所の一つ「異常な組み合わせ」については、生産諸条件の
異常な組み合わせである。これは山本二三丸氏の解釈が正しいと思われる。
  つぎに、需給不一致のさいの「市場価値」の決定について、「誤記説」の
解釈が有力であるが、どうもマルクスが「誤記」していないのではないか
と思われるところが認められる。
不明瞭の箇所は、全部で3箇所あるが、そのうち誤記だと思われるのは、
次の1箇所である。
(1)
「これに反して、需要が非常に大きくて、最悪の条件のもとで生産された商品
の価値によって(価格が――現行版挿入)規制されても需要が収縮しないならば、
このような商品が市場価値を規定する。このようなことが可能なのは、ただ、
需要が普通の需要を越える場合か、または供給が普通の供給よりも減る場合
だけである。最後に、生産された商品の量が、中位の市場価値で売れる程度
よりも大きければ、最良の条件で生産された商品が市場価値を規制する。」
(MEW.Bd.25,S.188)
その理由として、この部分の前までは価格についてかかれていることと、
このパラグラフの注で地代に関するリカードとシュトリヒの論争が取り扱
われていることから、マルクスが地代の議論と勘違いした可能性があるから。
以下の2つの個所については、山本二三丸氏の提起する根拠で誤記説を
とるのは難しく思われる。
(2)
「この最良のもとで生産される商品の個別的価値と市場価値(er)とが一致する
ことは、供給が需要をはるかにこえる場合によりほかには、けっしてありえ
ない。」(MEW.Bd.25,S.194) 
この文の位置がMEGAとWerkeでは入れ替えてあり、まえの文まで市場
価値の決定がなされていることから。ちなみにWerke版では需要供給の
文脈で入れられている。これはエンゲルスが入れ替えたのだと推察される。
(3)
「これとは反対に、商品量がそれにたいする需要よりも小さいかまたは大きい
ならば、その場合には市場価値からの市場価格の偏差が現われる。そして第一
の偏差は、もし商品量が少なすぎれば、つねに、最悪の条件のもとで生産され
る商品が市場価値を規制し、もし多すぎれば、つねに、最良の条件のもとで
生産される商品が規制するということであり、したがって、それぞれ違った条件
のもとで生産されるいくつもの商品量のあいだの単なる割合からみれば別の結果
が生ぜざるをえないであろうにもかかわらず、両極の一方が市場価値を規定す
るということである。」(MEW.Bd.25,S.195)
この文のすぐあとに次のような文が続いている。
「需要と生産物量との差がもっと大きければ、市場価格も市場価値から上か
下かにもっとひどくかたよるであろう。」
   もし誤記説を採るならば、ここにかかれている内容は、市場価値から市場
価格の乖離の程度の問題となってしまうが、そうするとぎこちなく感じる。
ちなみに山本氏の解釈では、この文章を抜きに議論をしている。

以上。


P.S.
  悪文乱筆を失礼します。