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尾崎君,ISM研究会の皆さん,今井です。“[ism-topics.277] On Market-
Value”への追記です。“[ism-topics.276] 市場価値について”の「2. 特別
剰余価値について」に関して,コメント及び質問を追加します。
>この規定は労働の二面性にもとづくものであるから、農業部
>門・工業部門を問わず一般的に妥当する。したがって、虚偽の社会的価値は
>個々から説明されるべきである。
「この規定」とは特別剰余価値の規定のことだと思います。特別剰余価値の
規定が「農業部門・工業部門を問わず一般的に妥当する」というのは,全くお
っしゃる通りです。実際にまた,特別剰余価値は,新生産方法が導入される場
合には,農業部門においてであろうと工業部門においてであろうとも,必ず発
生します(但し,土地所有は,新生産方法の導入そのものにとって──そし
て,このような形態で,資本そのものにとって──制限として現れます)。
問題は「したがって」という接続詞です。特別剰余価値が農業部門において
であろうと工業部門においてであろうとも発生するということが,どういう論
拠で,「虚偽の社会的価値」を「説明」するのか,この点が今一つ解りにくい
のです。
>また私見によれば、限界原理についても、
>この労働の二重性と農業部門の低い有機的構成から導きだせると思われる。
いわゆる「限界原理」とは地代論で想定されているような価値規定の様式の
ことであるように思われます。「労働の二重性」が──少なくともそれ自体と
しては──地代とは無関係である(地代が発生しようとしまいとも,労働の二
重性は発生している)ということは自明のことです。それ故に,恐らく,尾崎
君の理論では,「限界原理」なるものは,「労働の二重性」を一般的根拠にし
つつも,この一般的根拠に「農業部門の低い有機的構成」という特殊的条件が
結合するということによって,「導きだ」されるのでしょう。
そこで,尾崎理論において「限界原理」なるものを現実化するはずの「農業
部門の低い有機的構成」という特殊的条件を考察してみましょう。尾崎君もご
承知の通り,『資本論』で「限界原理」なるものが想定されているのは,何よ
りも先ず差額地代論においてです。これに対して,やはり尾崎君もご承知の通
り,「農業部門の低い有機的構成」が問題になるのは絶対地代論においてで
す。そうだとすると,少なくとも,差額地代論においては,「限界原理」なる
ものは「農業部門の低い有機的構成」からは独立な問題であるということにな
ります。恐らくは,尾崎君(あるいはマルクス)の中に,「限界原理」と(そ
の特殊的条件である)「農業部門の低い有機的構成」とを結び付けるロジック
があるのでしょう。けれども,この点を十分に説明して初めて,尾崎君の主張
が説得的になるような気がするのですが,いかがでしょうか?
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あと一歩でしょうから,修論執筆,頑張ってください。